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CLINICAL REFLEXOLOGISTへのSTEPS!

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3.11震災が起こった、その意味は? その後の生き方は? 考察へのヒント

今回の震災だけでなく、今まで地球上に起こってきた天災による被害を、必然だと受け入れるには、余りにも大きな辛い出来事だと思います。

今、こうしたことを私がお話ししてしまうと、普段お伝えしているメッセージと違うのでは?とか、起こることは全て自分が選んでおり、 偶然もまた必然では無いのか?

と混乱をきたしてしまうかもしれませんが、私も当たり前ですが現在は今世に生まれ来ており、皆様と同じように修行中の段階の人間です。

こうして起こった出来事に悩み考えること。そして、考えに考えた末に自分なりの答えを探して生きて行くことこそ今世の修行なのではと思っています。

日頃から申していますとおり、修行を楽しくするも苦しくするも自分次第です。

今回の出来事をどのように受け止めて、これから生きて行くのかが大きな見えない存在からの課題だと思います。

日本人だけでなく、世界中の多くの人が今回の出来事を通して、今まで気が付かなかったこと。考えなかったこと。見て見ぬふりをしてきたこと。

知らなかったことに対して、原発を含めて沢山の事実を知り考える必要があったのだと感じます。

(中略)

カウンセリングを通して、沢山の方の人生に触れる度に、人は1人で生きているのではなく、生かし合っているのだと感じます。

自分も皆様にとっても数分後には何が起こるか分かりません。

また皆様が思っている想いも、当たり前ですが、思っているだけでは伝わりません。

私が、今回の震災で感じたことの一つが”感謝の思いは直ぐに伝えよう”ということでした。

(中略)

物も人もいつかは朽ち果てる儚いものです。

無くすこと、離れて行くことを考えるよりも、いつ無くしても後悔しないように精一杯向き合い愛することが大切ではないでしょうか?

自然の自浄作用でもある天災。天災はいつ何時に起こるか人間の力で測り知るには限りがあると思います。

しかし人災の部分は、いかようにも扱う人間の心持で防ぐことが可能です。

今回の出来事を通じて、皆様がそれぞれに感じられたことをそれぞれに紡いでいくことが大切です。

スピリチャルセラピスト 相照心オフィシャルブログ 「2011-6-9 ご質問へのお返事です」 より

いつ無くしても後悔しないように精一杯向き合い愛する、ということ。相照心さんのこの記事を読んで、私の心に深く響いた部分です。私にも無くしたくないものはたくさんあります。こだわっていることもたくさんあります。なるべく持ち物を持たずに生活したいと思いつつ、モノが減るスピードは増えるスピードよりもノンビリです。

そして「無くしても後悔し」たくないのは物だけではなく人間関係でも同じです。身近なところで夫、両親、姉妹、友人、師・・・・、私と彼らとの関係は、今無くしても後悔しない関係であろうか?

後悔しない生き方とは、言い換えれば自分が死の間際に立った時に、あーまた自分の人生を繰り返してもいいなあ、と思えることだろうと感じます。そのためには、相照心さんがおっしゃっているとおりに「感謝の思いは直ぐに伝えよう」という行動がとても大事だということが心から感じられます。

私の心はなんと言っているか? What does my heart tell me?

コレ。
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# by reflexologist_mo | 2011-07-21 22:39 | ◇My inspiration

6月 今年もあと6ヶ月です。

「若い頃は時間が長く感じていたはずなのに…
歳を重ねると、どうして早く感じるのだろう?」

それは、時間の感覚が記憶と深く関係しているようです。

人の時間の感覚は、
より多くの記憶と、6感に敏感であれば
時間をいくらでも拡張することが可能
なようです。
言い換えると、
歳を重ねて時間が早く感じと言うことは…

日常の些細な出来事を過去の経験として捉え
新たな刺激と感動を求めず、
6感全てが鈍感になっているからと言えるでしょう。

人生を出来るだけ長く、より豊かに時間を引き伸す方法は…
「まず、日常の些細な出来事に対し
もっと注意を向け、全ての感覚を研ぎ澄ませること」

重要なようです。
たとえば、
休暇をより長く感じたいならば、
砂浜で昼寝するのではなく、新しい刺激を一杯詰め込むとか。

----- 自然治癒力学校web情報誌【ココロとカラダのインナートラベルズ】2011.6.2 新月号 より ------

マインドフルネスという言葉があります。
これは、仏教から来ている言葉で、この今を100パーセント生きるという意味でもあります。

100パーセント生きるということは、自分の体の中と外、両方に
- 耳を澄まし、
- 目を見張り、
- 皮膚の中と外の感覚を感じ取り、
- ささいな臭いに気づき
- 舌で感じる味や温度や唾液の量を見つめ
- 頭の中に写し出されるとめどない考察、記憶、感情を冷静に観察する
そんな感覚を駆使した状態で瞬間を生きる、ということ。

例えば机の上のペンを右手で拾うにしても、コーヒーを飲むにしても、友達と会話をするにしても、常に全ての感覚を味わい尽くす。それがマインドフルネス(mindfulness)

第6感と呼ばれるナニカを感じることもあるかもしれません。そうじゃないかもしれない。
目を向けてみよう、気づきたい、というような自分の扉を開けて風通しを良くすれば、ナニカさんがやってくるかもしれない。

リフレクソロジーを施している時に、何かがシフトした!と私が気づく時というのは、私とクライアントさんがこんな状態が続いた時なような気がします。そんな意味で、リフレクソロジーとは単に一方的な施術ではなく、共同作業というような気がします。
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# by reflexologist_mo | 2011-06-02 18:43 | ◇My inspiration

身体と心 瞑想についての考察

なぜ人は瞑想をするのか、瞑想とは何か、瞑想がもたらすものとは何なのか・・・。私の関心ごとのひとつです。瞑想というのは個人的な体験なので手取り足取り教えられて習得できることではなく、自分が実行することで根本から理解できることなのだろうと想像します。

僅かながら理解しつつあるのは、瞑想をしようがしまいが楽しく幸せに暮らすことができるけれども、楽しく幸せにそして穏やかな心持ちで生きるためにはこの「今」を「あるがままの自分」としてただ生きればよい、ということ。「今」ここに存在するためには、身体はもちろん心もここに在ること。そのためには、良い人になろうとかこうするべきだとか、自分が勝手に作り出したイメージは自分には必要ないということに気づき、解き放ち、単にここに今存在することで十分に成し遂げられるということ。

そんなことを考えていたら、田口ランディさんがこんな記事を書いていて、なるほどと膝を叩きました。私。

今、現在というのは、身体感覚そのものだ。身体はここにしかない。動いている心臓。呼吸している肺。消化している胃腸、今ここに身体はいる。どこにもいかない。でも、頭は違う。頭は遠くに行ける。頭だけは未来に行ける。未来を不安に思っているときも、身体はいまここにいるのに、そこに意識が向かない。

身体と頭が分離しているとき、人の判断力はかなり低下する。最も集中力が上がるというα波は、身体がリラックスしている状態の時に現われる。だから、集中力を高めようとする人ほど、身体を鍛練するのである。頭だけで集中力が得られるなら、めんどうで時間のかかる身体の鍛練など無用だろう。

不安は、身体のほうに意識がもどればずいぶんと薄れる。身体はいつも、いまここに在るからだ。身体はほんとうにありがたい。足は地に着いて歩く。いっしょうけんめいに歩けば、地面と接触した足が「いま、ここ」へと引き戻してくれる。汗をかき、身体にじゅうぶんに酸素がまわれば、気分は晴れてくる。不安なとき、だいだい人は酸欠状態だ。

たくさんの人の死によって心に受けたダメージは、不安とはまた違い、もやもやとした痛みを伴う。この痛みは、時がたてば自然に癒えるものだけれど、癒えるためには「人と人のつながり」がとても大事だ。見知らぬ人たちの死を悼み哀しむ心は、罪悪感で否定されるべきではない。でも、自分がいま生きていること、その意味は私の力だけで獲得できるものではない。誰かがいてくれるから、確認できる。

不安は悪い未来の先取り 2011.3.31 より

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# by reflexologist_mo | 2011-04-01 00:52 | ◆Articles-Mind