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CLINICAL REFLEXOLOGISTへのSTEPS!

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カテゴリ:◆Articles-Mind( 1 )

身体と心 瞑想についての考察

なぜ人は瞑想をするのか、瞑想とは何か、瞑想がもたらすものとは何なのか・・・。私の関心ごとのひとつです。瞑想というのは個人的な体験なので手取り足取り教えられて習得できることではなく、自分が実行することで根本から理解できることなのだろうと想像します。

僅かながら理解しつつあるのは、瞑想をしようがしまいが楽しく幸せに暮らすことができるけれども、楽しく幸せにそして穏やかな心持ちで生きるためにはこの「今」を「あるがままの自分」としてただ生きればよい、ということ。「今」ここに存在するためには、身体はもちろん心もここに在ること。そのためには、良い人になろうとかこうするべきだとか、自分が勝手に作り出したイメージは自分には必要ないということに気づき、解き放ち、単にここに今存在することで十分に成し遂げられるということ。

そんなことを考えていたら、田口ランディさんがこんな記事を書いていて、なるほどと膝を叩きました。私。

今、現在というのは、身体感覚そのものだ。身体はここにしかない。動いている心臓。呼吸している肺。消化している胃腸、今ここに身体はいる。どこにもいかない。でも、頭は違う。頭は遠くに行ける。頭だけは未来に行ける。未来を不安に思っているときも、身体はいまここにいるのに、そこに意識が向かない。

身体と頭が分離しているとき、人の判断力はかなり低下する。最も集中力が上がるというα波は、身体がリラックスしている状態の時に現われる。だから、集中力を高めようとする人ほど、身体を鍛練するのである。頭だけで集中力が得られるなら、めんどうで時間のかかる身体の鍛練など無用だろう。

不安は、身体のほうに意識がもどればずいぶんと薄れる。身体はいつも、いまここに在るからだ。身体はほんとうにありがたい。足は地に着いて歩く。いっしょうけんめいに歩けば、地面と接触した足が「いま、ここ」へと引き戻してくれる。汗をかき、身体にじゅうぶんに酸素がまわれば、気分は晴れてくる。不安なとき、だいだい人は酸欠状態だ。

たくさんの人の死によって心に受けたダメージは、不安とはまた違い、もやもやとした痛みを伴う。この痛みは、時がたてば自然に癒えるものだけれど、癒えるためには「人と人のつながり」がとても大事だ。見知らぬ人たちの死を悼み哀しむ心は、罪悪感で否定されるべきではない。でも、自分がいま生きていること、その意味は私の力だけで獲得できるものではない。誰かがいてくれるから、確認できる。

不安は悪い未来の先取り 2011.3.31 より

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by reflexologist_mo | 2011-04-01 00:52 | ◆Articles-Mind