人は、何かというと経験を評価のスケールにしたがる。ともすれば価値そのものと扱ったりする。これは錯覚である。
ただ単に、ある人がある経験を持ったというだけでは、それが価値あることにはなりはしない。経験が尊重されるためには、その人がその経験から、いつ、誰が、どこで考えても納得のできる正しい理論に裏付けられた知識を、学び取っていなければならない。
経験そのものは、あくまでそのための材料でしかなく、それをどう料理して、どんな知識にまとめあげたかが大事なのだ。
本田宗一郎「得手に帆あげて」 三笠書房 p51より
ウン十年の経験あるリフレクソロジスト、ということでは何の価値にもならない。長年の施術の経験と、解剖生理学、病理学などの背景の知識と一緒に分析し、理論付けし、類似した共通点をみつけ、まだ残る疑問点を明確にする・・・などといったプロセスを重ねてこそ価値が出る、ということです。
そのためには施術毎に記録をつけることは最低限必要なことです。
また、同様のケースを引っ張り出せるようにデータを整理すること、他のリフレクソロジストと情報を交換しあうことも、自分の経験を価値あるものにするため、大事なことだと思います。
私が前から気になっているイギリスの組織のひとつでは、会員になるためには学歴や経験を重視しない、と明言しています。面接をして質疑応答でこの組織の要求するレベルであるかどうかを判断するようです。まさに、経験と背景の知識をどのように自分が料理して、どんな知識にまとめあげたかが個人個人試される、ということなのでしょう。